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蛇谷は相変わらずものごとをキレイにうたがえていて、つい感心してしまった
ずいぶんとごぶさたをしている。
山口以降の「いいね!」は、お互いをそれぞれの置きやすい所で受け入れたまま、あいかわらずなんとかやっている。(と思っている、僕は。) 蛇谷の仕事のついでに岡山で数回会ったりskypeをしたりと、今後の活動にむけ動き出している。 と、この数行でおわらせれないほど、ブログが空いて以降本当にいろんなことがあったけれど、また機会があればそれは書くことにしよう。機会があれば。 蛇谷とは、ユニットを組んでから本当に考えることがいろいろあったし、とても感謝している。また、僕や「いいね!」に関わってくれた全てに人にも同じようにありがとうを言いたい。そしてこれからもよろしくお願いします。ということで、来年の話。 来年の夏に「いいね!」の次の企画を岡山でやる。そのためのリサーチを先日行った。 WSで岡山に来ていた甲斐さん(蛇谷はそのアシスタントで来ていた。)を風呂に落として、かしわんとさじさんにチャリを借りて、ある町をはしからはしまで巡っていく。 僕はなんとなく知っている町だとしても、蛇谷にとっては初めての場所で、その距離感というか、場を見つめ獲得しようとする感じが興味深い。地域の人に話しを聞いたりしてスキャンしていく。岡山は住んでいる場所なので、案内目線なのだけど、いつの間にかリサーチ目線に変わっていく自分に気付く。そのころりとひっくり返る時は、自分を置き換えアバター化する不思議な瞬間。 相変わらず、こどもな蛇谷は、くっつき草?を見つけて僕につける。 そして、仕方なく自分でとっていく。 甲斐さんと湯月くんを拾って、後楽園をのんびりふらり。 みんなで鯉にえさをやってみる。 鯉のえさがコンテンツだとしたら、鯉はそれに飛びつくユーザー。投げ入れられた波紋同士がまた、動きを作り出し、ユーザーが一瞬うねる。とはいえ、みんながみんな同じえさを投げるからか、ここの鯉は、えさに対するぱくつきが悪かった。僕らに鯉としての仕方のないパフォーマンスをみせられたようだった。この先入観がいけない。 地域アートを長年やられまくった場所に住んでいる地域住民みたいだった。わかっちゃっていることに対して、アーティストがなめられている状態みたいだった。(健全だとおもうけど。) ホストゲストの関係性ではなく、その中で何が出来るか。あるひとつのフォーマットだと思うが、フォーマットがわかっていてもおもしろいこと、わからないからフォーマット(とはいかなくても)をさがすこと。もうちょっと、フレームを大きくしてその池や庭を眺めながめていたい。 30日、もういちど会議。今度は小森を交えて。 字の色をオレンジに変えてみたけど、読みにくいな。青よりはましだけど。そのうちweb大改造します。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
山口から、すっかり大阪へ生活が戻る。自分の目の前のことと、昨日のこととか、その前のこととかがリンクしながら通り過ぎてる。ここのところ、リンクしてることが、言葉に出来なくて、日記から遠のいていた。そもそもわざわざ言葉にしなくてもいいのに、言葉にしたがるソレはなんだろうね。と疑問はさておき。
この間、大阪の自宅で美術についての話をした。話をするぞ!っていうつもりもなく、あまったカレーを分けてもらうために、家にあそびにきてくれて、そのままその流れになった。美術の話はこれまであまりしようと思ってなかったし、する相手もいなかったし、自分自身ちゃんと向き合ってなかった。けど、ここ最近の自分のまわりで起きていることがどうにも美術についてのことだったので、自分の家で、構えずに話したくなった。 美術の話といっても、大した話ではなくて、生き方の話で、自分はどのようにして生きてどのように死を迎えるか。とスライドさせるとすごくシンプルになる。いろんなものが見えすぎて、「じゃあ蛇谷は何がしたいの?」という問いに言葉にうまくできなかったけど、結局一周回って自分に戻って、すぽんと何か外に抜け出せた感じがした。 すごく長かったテーマは、結局の話、自分のために自分は振る舞うんだけど。一周回ってるのとそうじゃないのとは全然違うと思っていて。もちろんまだ終わりのない話で。 三宅くんともこういう話をたしかいいね!会議でもして、夜が弱いのでうっすらとしか覚えてないけど、オンオフ関係なくそうやって自分ら自身の話も出来るのは、「作品」にする境界線がぼやけてきて、不思議な感じ。 わかるかなあ。この感じ。作品を作品としてみてるようで見てないというか。作品のために生きてるというより、生きてて作品がある感じ。でもこれは私の価値観で三宅くんはどう思ってるんだろうね。 ![]() ![]() ![]()
向島の11日間の滞在も終わり、大阪に来た。
いいね!会議を行うため。8月の終わりには蛇谷が岡山に来たが、その逆バージョンだ。 会議ができる夜まで時間を潰すために、蛇谷に、過ごし方をメールで指南してもらった。 特にすることもないので、その通りに動こうと、まずは北浜に。 駅で降りて、ギャラリーが開くまで喫茶店へ。チラシ置き場には、蛇谷が関わる広報物が置いてあった。ほろ苦くてそれだけで美味しい珈琲は、添付のミルクと砂糖を入れてみるとこくまろになった。計算されてるのか、2度美味しい。 重厚なモダニズム建築の店内にはクラシックが流れる。談笑する老夫婦2組。何を話しているんだろうか。丁寧な笑い声だけ聞こえてくる。 たまたま大阪にいた中崎くんや有佐くんに会い、そのまま過ごすことに。蛇谷がくるまで一杯やりながら過ごす。 夜、蛇谷が来て、そのま合宿会議へ。 今後のこと、この作品のことを少しずつ話す。約10日ぶりの蛇谷は、髪の毛がうっすら伸びていて、逆に僕のヒゲも濃くなったと言われた。 大阪に来る前日、僕は東京で、劇作家の岸井大輔さんと公開合作なるものをした。墨田区での同じ展覧会に参加中で、ひょんなことから決まったのだけど、そのひょんさ故、当日までふたを開けずに即興でさぐりながら作っていく。蛇谷のそれとは、もちろん関わる時間や作り方からして全然別物なのだけど、作業中、相手を受容する想像力みたいなことを創造していたのは確かだった。ただ、同じフィールドではない人と、似たようなフィールドの人とでは、また感覚も違うなとも実感。しかし、いい意味でも逆でも、蛇谷とのような些細なコミュニケーションは無い。 また、別の機会。あるユニットの作品を鑑賞した。この乱暴性というかフォローの難しさは、蛇谷だったら受け入れられるのかなぁと。 (のちに蛇谷に問うと、それはあっさり「NO」だった。:つまりミヤケだから作れなかったということ。) 役割が決まっているわけではなくて、触れる範囲が似ているユニットだからこそ、そのわずかな誤差によって互いに反応してしまうのだけど、似ているだけにその感覚の言葉では他者よりよく喋れ、つながれる感じがある。もちろん全ての感覚のスワッピングはする必要もないと思うけれど、互いにそれでも仕方なく受容した今回の作業に対してこれで当たり前に終わった感じはしない。 朝、得意技のようにこっそり出て行こうとする蛇谷。 「いいね!」から始まる物語は、これからどうなるんだろうか。 2歩目をふたりで探している。もしかしたらこれから1歩目。ゆっくり歩き出していくつもり。いま、悪い予感はしない。 YCAMのキュレーター阿部さんがレポートを書いてくださっている。 →こちら ![]()
さて、このブログはどこまで続くんだろう。
このブログは、2人で作品をつくることによって生まれた事柄の細かな追跡であり、現段階では作品ではないと私は思ってる。作品展示が終わっても、私たちのそれぞれの時間は続いてるわけで、もうしばらくこれからもここでの日記は続けてみる。もうすぐ大阪で会議があるので、それから方向性が決まりそう。(決まるのか??) 大阪に戻ってから、作品どうだった?と聞いてくれる中で、わたしは無事に終わったよ。ということしか言えなかった。やっぱりどうも、わたしが感じていることを言葉にするのには随分な時差があって、ある日手紙が届くように言葉がやってくる。それがこのブログを読んでくれたみんなの言葉の中だったり、お土産のお酒を友達と飲み明かした夜だったり、わからんちんな自分にへとへとになりながらもあるときぱっと飛び込んでくる。 自分のことは自分が一番わかってる。なんてことはなくて、初めて自分から離れたときに強烈に自分が立ち上がってみえてきて、作品での自分に、いま大阪にいる自分が突きつけられている感じがある。 こんなことを書くと彼女が悲しい思いをするかもしれないけど、正直に書く。三宅くんの彼女が登場したことで、わたしはこれまでのわたしの存在が虚像になったと感じた。もともと彼女でもない私が三宅くんと作品を作っていて、でも演技じゃなくて、ほんとの話なんだけど。作品の時間とは違う、もっとほんとの時間が自分の前に現れたこと。そうすることで私は、ここに存在してるのにすごく薄っぺらいものになった。これから長い時間を重ねるであろう2人を目の前に、わたしは、必死になって。自分をつかまえようとする。 彼女が来る前夜、それよりもっと前から、そうなることを察知していたのか、経験してきたのか。少し前の私が決めた「髪を切る」行為そのものによって、自分がリアルに存在した。安心と喪失感を得る。髪を切る前、切ってる間、今回の作品における立場と自分のプラベートにおける立場を重ねて思い出した。髪の毛を切ることでこんなに気持ちが助かったのは初めてで、今になって自分の言動や行動から自分の問題にきづく。 かといって、三宅くんとこの話を直接会ってこれ以上話すつもりはない。 これは私の答えであって、三宅くんとの問題ではないと思うから。 ![]()
バスは東京に着いて、彼女に電話する。
いろいろしゃべって電話を切る時に 今日はどんな朝かと、聞いてみると、 「ぐちゃぐちゃモーニング」と彼女は応える。 ゆっくりゆっくり僕は彼女と向きあっていきたい。 打って変わって人が多い東京。人をすり抜けるということがより人との関係性を感じてしまうのはなぜだろう。 そして場所を移動した直後は、会ってもいないどこかの誰かに会ったことのあるあの人をかぶせたり、知らないあなたを、これからどこかで会うだろうと愛おしくなったりする。 いざ、水戸へ。 僕らをレジデンスに招いてくれたコーディネーター山城くんが所属するグループ、 Nadegata Instant Partyの作品を見に行くためだ。 7月に山口の下見の時に会ったことのある水戸の学芸員さんに再会。当時、まだ決まっていなかったユニット名を相談した時、「旅芸人」とかいんじゃないと(冗談で?)言ってくれてたけれど、今日会って「いいね!」になりましたー。というと、「それユニット名?」と言われた。 また、別の学芸員は、大阪で蛇谷と会っていたこともあって、いいね!ブログを読んでくれていて、作品を見ていないのにとてもおもしろがってくれていた。今朝もブログをよんで仕事を始めたと。一方、現在のポストまで追いついていないナデガタの野田さんは、ドラマを見逃した翌日の給湯室みたいにひとり置いてかれ、なんだかへんてこ。 もちろんこれはドラマではなく、現実でおきていることのささいな一部分なのだけど、それが作品に一度お邪魔して、また生活に戻っていっている。僕は、いま水戸に来て、蛇谷は大阪に向かう。そのルートのよう。 もしくは、マラソンの中継。 先頭集団と第2集団と、それぞれ中継車がカメラで追っかけている。ある時に第2集団が先頭集団に追いつく。集団が一つのまとまりになった時、カメラは1台でことたりる。そしてそのうち集団は分離されまたそれぞれのカメラがそれぞれを追いかける。 その一瞬重なったあるときが、今回のレジデンスであり、私たちが誰かと接する時なのではないか。僕らはそのまま2台で撮り続けたし、それがセカイだと思う。 たまに交差する視点も、基本は、どんな二人でもそれぞれにカメラがある。誰かのカメラにあなたが写っていて、あなたのカメラに誰かが写っている。たまに一緒に写る。もしくは誰かが切ったシャッターの中におさまっているかもしれない。 「作品というより互いの存在を「いいね」!と承認し合う必然的な勝負となるだろう。」 蛇谷がモーニングコールすると決めた9月の滞在最終日を終え、帰りの新幹線の中でtwitterにポストをした。 まさにその時予感した様に、お互いの存在を、また、自分の存在を「いいね!」とまず受け入れてそこから始まる物語だと思っている。そして、これからどうなるかわからないが、ユニットの作品の最初がこういったアプローチであったことは、良かったと思っている。 ![]()
9月に出会った山口のカリスマ美容師あんちゃん。予約がいっぱいのため、8時なら空いてるということで、10日、朝、あんちゃんの店fuugaに、蛇谷は、坊主をしに、僕はそれを撮影するべく、早朝のパークロードを自転車ですいっとくだる。
何度とこうやって、蛇谷と山口の道を一緒に自転車をこいだかわからないが、きのうの夜のことがあり、変な感じでもある。東京に向かう高速バスの中、思い出す風景といえば、ああいった映像だったりする。 一日のあいだに何かがあって夜を迎え、また朝がくるとう構造の中で、朝のああいう相手のテンションを意識する感じは、なんだかすばらしい。動物の普遍的な行為なのかな。 最近の肌寒さとは変わって、太陽がじわじわとした暖かさを落としてくれ、とてもここちのよい朝。 ガラス張りの店で、あんちゃんはあたたかく迎えてくれた。 山口に来てから知りあった人との関係の中で紡がれている時間が、なんだかすばらしいなぁと実感しながら、断髪式が始まった。最初の一発目、大銀杏を切らしてもらったが、(なにか感じるかと思ったけれど)意外とすんなりと終わった。 結局おしゃれ坊主蛇谷は、「坊主にします!」といって、驚かして来た人たちを、「なんだ、かわいいやん。」と、落胆させた。確かに、小顔で可愛くてよく似合っている。悔しい。 女性についての髪について、 切ってみて蛇谷は何を思ったのだろうか。 ぼくは断髪の撮影。鏡をじっと見つめる蛇谷の目は、なんともいえない表情。 時折り、あんちゃんとの会話から解かれた時は特に。 パンを買って、からんからんと鐘のなるザビエルの広場に行き、日光浴をする。 蛇谷はその帰り、拾ったどんぐりを投げてきた。笑いながら。 僕はなんだかわからないそれに、知らない笑いで返した。 きのうから、今日となって特にどきどきがオーバーラップしてくる。 そう。そして、岡山から彼女がきた。 だいやくんにすすめてもらったお店でごはんを食べて、YCAMに行き菅沼くんギャラリーツアー。 そして、展示のしてある菜香亭に自転車でいく。 岡山で並走して走る感じとは違う。 彼女はとてもゆっくり漕いでいる。 山口をかみしめるようにゆっくり漕いでいる。 彼女は、とても複雑な状況な中、がんばって来てくれた。 展示を見ることはもちろん、蛇谷に会うことも、僕あるいは、自分自身を見つめることだと彼女自身もわかっていたようだし、実際、勇気を持って挑戦して来てくれたこと、それだけで僕は充分だった。 展覧会で振る舞った彼女の行動や、たくさんの知り合いから話しを聞かれ、泣いては笑い、その姿を僕は近くで遠くで見ていた。 2人でもいっぱい話した。 菜香亭や、マングローブでもとこの部屋を開いてくれたやんの曽田元子さん、だいやくん、秋吉のうっちー、YICAの会長の奥津さん、藤木さん、山城くんや狩野くん、りっかんやさとちゃんまで、僕との関係性にとどまらない話をたくさん彼女の話を真剣に聞いてくれていた。 彼女とすごす2日間は、あっというまで、なんだかとても複雑な気分が続いた。せっかく来ているのだからもう少しゆっくり過ごせたらよかったのだけど、いつもばたばただ。 広島から出る東京行きの夜行バスにのるために電車でふらふらゆられ、広島でごはんを食べる。そして彼女は岡山へ、僕は次の滞在制作である東京の向島へと向かうためバスに乗る。 東京に行くバスの中、消灯前に彼女からメールがきた。 許可をもらって転載することにする。 決してハッピーエンドだとは思わないし、これがほんとセカイのささいな一部分だとおもっているけれど、今回のこの作品とその周辺は、その境界線を曖昧にしながら続いていくことだろう。 On 2009/10/11, at 20:24, - - - - - - - - - - - 怒濤の2日間の終わりをむかえてなんだかいろんなことを考えている。 本当にこんなにたくさんの感情がこみあげて、いろんな思いをめぐらし、涙をながしたり、たくさんわらった日はなかったと思います。 みーゆくんとじゃーじゃーときちんと話せたこと、二人を受け入れて理解しようとしたこと、正直な気持ちを話をしたこと、全部あたしはやっぱりあたしだから人間臭くていいやと思えたことも、ひとつ何かを越えそうな気がしてる。 そして、あなたちのまわりにはすばらしく素敵な周辺の人達がいて、私がその人達に会えたことも、ものすごくうれしかったのです。 あたしは本当にあなたに会えたことが奇跡みたいに思えていて、自慢のパートナーであり、あなたを誇らしく思うのです。 そして逃げないでぶつかってくれたことに感謝しているのです。 あたしはナニがあってもあなたの善きパートナーでありたいし、これから先ずっとそばであなたの表現することをみておきたいのです。 それは同時にあたしもたくさん考えていくきっかけになるとおもいます。 心からあたしはあなたに対して愛情をぶつけたいと思います。それが人間くさくてもあたしはあたしたのだから素直でいたいです。 帰ってきたらたくさんしょーもないことを話そう。遠足もしよう。 いってよかったよ山口。 ありがとうね。 東京がんばってね。 また連絡まってます。
福岡にいってアジア美術館で行われている「福岡アジア美術トリエンナーレ」にいく。半分仕事。たくさんの作品の中で、沖縄のおばあちゃんたちにインタビューをし続けている写真作品。写真の向こうには構えていない笑顔をこちらに向けている。 こういう写真はわたしと三宅くんの中には見たことないし、自分でも自覚はないなあ。とふと思う。
わたしとあなたという関係性がしっかりあっての一枚の写真。撮影後は、ごはん食べようぜーってなって、生活に戻って、そこに写真が介入してるだけなんだろう。作品になる前の関係性はやっぱり時間とテクニックがたくさんあって、作品のことがどうもよくなるくらいになるのかもしれない。その感じは搬入前の山口入りのときに少しあった感覚はある。でも、やっぱりまだ三宅くんがこちらにカメラを向けたときの感じは違和感がある。 あの冗談なのか本気なのかわからない振る舞い方。それが彼のいいところで違和感のあるところで。私は今回、本気かわからない彼を、なんらかのストックどころを見つけて受け入れることが出来た。けどそれはほんの少しの小さな穴にすぎず、彼が悲しい顔をしているとき、彼が何かを伝えようとしているとき、感じていながらも受け止めなかった。見てみぬフリをした。三宅くんを受け止めるストックはもう満杯で、それを受け止める余裕がなかったし、その役目は私じゃなくて彼女だと思うから。 作品はこれで終わりだけど、私を含めて三宅周辺の関係づくりはまだ続いてる。 いつかあのおばあちゃんの写真みたいに、いい顔した写真のような作品が作れたらいいですね。それが三宅くんの彼女であってもいいかもしれないし、わたしでもいい。もしかしたらまったくの他人でもいいかもしれない。 今回の作品は他人を巻き込む前の、作品となる相手に「いいね!」って言ってもらえる関係を築けるかどうかという話なのかもしれない。 またいつか、忘れた頃にいっしょに作品をつくりましょう。 ![]() ![]() ![]() ![]()
昨日、三宅くんの彼女がきた。朝に髪の毛を切って、お昼ごはんを食べて、三宅くんはそわそわしながら彼女を迎えにいく。記録写真を撮影するために事前に決めてた時刻になり作品の前で会う約束をする。わたしはのんきに帽子を買いにいく。待ち合わせ時刻には彼女がもうすでに作品を観ていて、わたしは瞬時に彼女にどう振る舞うか決める。久しぶり、坊主にしたんだーとたのしい会話。彼女はうっすら元気そう。そんな感じで少し話をして彼女の前から席を外して福岡に行くことを考えながら他の人と話をしていると、また彼女と目が合う。彼女が私の手をひっぱって、声をかけてくれた。
昨日までここに来るのを戸惑っていたこと、今まで見なかったこのブログを今日来る直前に全部読んだこと、作品について自分が感じたこと、彼女は少しずつ、うつむきながら彼女自身のことについてゆっくり話をしてくれた。そこには三宅くんの彼女と三宅くんの作品パートナーじゃなくて、もっと根底の同世代の人間と人間がそこにいた。彼女は(この彼女は3人称の彼女)わたしが思っていたよりもずっと芯のある人で、三宅くんの彼女である前にひとりの人間で、そのもがいてる様子はむしろ頼もしい。なんで勝手に女性というお面をかぶせて見ていたのか、彼女が背が低くて、かわいくて、声が小さくて、かよわそうだからだろうか。私が極端に女性を意識していたのかもしれない。 そうこうしてる内に福岡に行く予定時刻が目前になり、わたしは福岡にいくのを明日にした。今日は彼女のことを大事にしようと決めた。彼女が山口に来たことをいろんな人と話をしながらお祝いした。もしかしたら、彼女と女であることの話にして、もう少しつっこんだ話をしてもよかったかもしれない。けど、その話はまた今度すればいい。 三宅くんは一日中悲しそうな複雑なおかしな顔をしていた。 女の人ってほんと単純で強いというか、切り替えるスピードの速さが違うなあと三宅くんをみて思う。 あと、三宅くんに対する違和感はわたしと彼女のソレは微妙に違うことがわかった。三宅くんと彼女はもっと向き合って、彼女の話をきいて。でもそれは今まで彼女も構えていたことに気づいていたから、きっとこれから大丈夫。むしろこれから始まるお話。わたしは今回作品だから三宅くんと向き合ったけど、その分三宅くんもきちんと受け取ってくれたし、それくらいの器はある人だと私は認識しているので、大丈夫。なんていうと昔の彼女が語る。みたいな感じやね。今度は笑って三宅ナイトをしよう。 ![]()
そうそう、「蛇谷と付き合えよ」という反応。よく言われる。
書こうと思ったら先に書かれてしまったけど、僕には、岡山に彼女がいる。 最初の滞在。 9月の滞在中の半ば、なかなか作品プランが決まらない夜。 蛇谷に、「私は三宅くんとはうまくコミュニケーションできない。」と、告白された日がある。こんこんと、蛇谷による三宅論を語られた。三宅くんには、こういうとこがある。もしくは、こういうとこがあって、私はとても困惑している。など、いろいろと。それはあまり目を向けたくないというか、とてもショックをうけた内容だった。 その日、そして、全くその最中に、岡山にいる彼女から電話があった。 彼女は神妙な声で、ここ最近ずっとの話をしてくる。泣きながら。そして怒りながら。 それはまさに、言葉は違えど、蛇谷が口にした同じ内容を言っている。 かれこれ2時間くらいか、そのまま話し続けた。 僕はレジデンスしている木町ハウスの外に出て、彼女の言うそれに耳を傾けながら、蛇谷にさっきいわれたことと重ねながら、いま一番近い存在の2人にいわれたこの感覚に対して、一体なんなのだろうとか、と我にかえらずにはいられなかった。しかも同じ日にというのはショックが大きい。 街灯も少ない道を歩き、真っ暗な木町ハウスに帰ると、蛇谷は待ち疲れたのか寝ていた。 その日は、そのまま作品の話は出来なかった。 僕はその夜、なんだかどうしようもないやるせない気持ちだった。 どうしたらいいのだろうと。 そしてそのまま僕も寝た。 その9月の滞在の後、岡山で彼女に会ってからも、決していい状態ではなく、なんども同じようなところでふらりと彷徨った。 2人に対しては、僕は決して向き合ってないという感覚でもないし、真剣に考えているつもりなのだけど、2人にとっては、そうは思えないという中で、僕は、何を考えて、どう行動して生きていけば良いのだろうとよく考えていた。 9月の滞在最終日に決まった、蛇谷が僕に対しての最大限のアクセス方法であるモーニングコールをするということ。それを真剣にレシーブするように、僕は彼女に対しても、ちゃんと真剣に向き合わないといけないと。 それは決して並列ではないけれど、僕の中では比べざるを得ない感覚であり、僕の彼女にとってもそれは大きなことだったと思う。 蛇谷のモーニングコールを受けるという向き合い方、また、その周辺をこのブログであげること。 彼女とは、向き合いながらこれからも付き合っていくというのは、それぞれ受け入れたい他者を乗り越えていくことだけど、蛇谷の場合、作品になるという前提があるし、彼女の場合はそうでない。作品の中で、他の女性と向き合っているということと、自分の中での嫉妬や違和感を覚える彼女。 この違いに、僕は困惑しながらも再び山口入りした。 今回、作品をみた鑑賞者からありがたいことに様々な反応が返ってきている。ある女性は、声を聞くだけでこんな感情が込み上げてきたのははじめてだと言った。作品の輪郭は、作家が作って展示しておわりではなく、受け手である鑑賞者との間によって形づくられるものだとつくづく思う。 今日、山城くんと蛇谷はYCAMで行われたのライブに行って、僕と狩野君は、「かよ」という居酒屋で飲んだ。 2年前くらいから知り合いだった狩野くんと2人で初めて飲んだ。僕らの作品や関係性についても、とても興味をもってくれて、いろいろ話し合う。 そのあと、ノーヴァヤさんや、澤登恭子さんや、秋吉の真千子さんも来て、山城くんや、蛇谷もライブ上がりに来て一緒に飲む。 そして、次の店に行って、蛇谷はひとりで帰るのだけど、僕は1杯だけそそくさと飲んで追いかけた。 というのも、蛇谷は、あした福岡に展覧会を見に行く。それは、知り合いでもある僕の彼女から逃げるように。(という要素も無くはないと思う) そしてそのまま福岡に泊まる。僕はあさって帰る。さらに、岡山から僕の彼女が来るので、もしかしたら蛇谷とちゃんと喋れるチャンスは、今日しかないのかなと思って帰った。 予想通り、蛇谷は相当構えていて、すぐに布団におさまった。僕も蛇谷の女性性に関しても、相当考えていて、ソレはその通りだと思うし、とてつもなくデリケートな問題だと思う。とやかく言えないというか、蛇谷がそれについて考えていることに対してもとても尊重したいし、変な感じだろうけど、僕もそれの支えになりたいという感じもする。蛇谷はこういうことを書くといやがるけど。 僕は、今回の滞在や、一緒に作品を最後まで作ってくれたことや、僕という人間に逃げずに向き合おうとしてくれたことに対してとても感謝している。それを伝えるべく、布団の中にいる蛇谷に感謝の気持ちを伝えるのだけど、聞こえていないのか、寝ている振りをしているのか、反応はない。特にそれを同情やフォローしたいと思わないし、蛇谷も願っていないと思うけど、彼女や親友、家族以外で、こんだけ向き合ってくれる人もいないとおもっているので、本当にありがとうと言いたいと思っていた。 なんだか、ひとりでうぐぐとこみ上げてきた。 僕は、蛇谷のキャパと、人間性を本当すてきだと思っているし、本当に好きだと思っている。 悔しいほど素直だし、悔しいほど器用だし、そしてなによりも悔しいほど不器用だ。 その後、僕は、外に出て彼女に電話するのだけど、何も話していない状態で、なぜだか涙かこみ上げてきて、ずるずると泣いてしまった。 なんだかわからない。 複雑すぎるけれど、僕はいま、蛇谷や、彼女との関係性だけでなく、僕の周りにいる人たちに対して向きあえているのかなぁと考えてしまう夜だった。 しんとした闇があって、それはとても不安である。 蛇谷のあしたの坊主にする行為に対して、大銀杏を切らしてもらおうと思っている。 断髪式。 それにしても不安定な夜、だけでない日中だった。あしたは一日どうなるだろうか。 寝れない夜に作品のモーニングコールの音声を聞く。 ![]()
昨日の続きのような感じで頭の中がぐるぐるしてる。展示が始まって、感想をちらほら聞いていたら女性について考えさせられる。わたし自身、女性であることを意識したことないのもあって、女性についての作品はこれまでも見てきた記憶はあるけど、正直あまりリアリティというか心に響いてなくて。そんなに気になるもんじゃないとどっかで思ってたけど、今回の作品で自分が女性であることに、がつんとぶつかった。わたしの女性の面が今回にじみでてるらしい。無意識なだけに不本意というか、おおそうなのか。という驚き。
三宅くんにはかわいらしい彼女がいて、わたしから見てもとてもすてきな人で、今回そういう人がいる三宅くんとこの作品をつくるのは自分の中では複雑だった。明日その彼女が来るらしい。嫉妬とかそういうのじゃなくて、わたしにはそういうホーム的な人がいない、作れない(と思っている)こと。でも三宅くんはソレを持っていて大事にしようとしていること。わたしには持ってないものを彼は持っていて、向き合っていて、わたしはまだ向き合ってなくて。その状況をつきつけられられるのは、正直つらい。 山口の夜はとてもまっくらで、さっき夜道の中一人でとぼとぼ歩いてるとわたしはまっくらの中に消えてしまいそうになって、その感じに浸りたい気持ちとこわい気持ちがごっちゃになる。こういうときに思い浮かぶ人はいるけど、その人はずいぶん遠くにいて結局わたしは独りであることに気づく。それがつらかったらやめればいいんだけど、そのあたり自分はどう思ってるのか、答えを出そうとしてなくて、行ったり来たりをしてる。明日の朝、わたしは坊主にする。髪の毛のことなんて考えてもみなかったけど(毎日寝癖だし、くせ毛だし、気にしたことない)明日坊主にすることに少し緊張してる。髪の毛を切ったからって何かが変わるわけじゃないけど、何か特別な気持ちになってる。なんなんだろう、この感じ。
展示初日、ぎりぎりまでの搬入とその緊張感とはうって変わってのゆるやかな時間が流れる会場。YICAのみなさんがバタバタしつつも丁寧な動きをしてくれてすてきな展覧会が始まりました。
初日のギャラリートークでは27名近い作家さんのプレゼンとともに自分たちの作品を紹介。そのあと懇親会でつっこんだ話になる。自分たちが触ろうとしているものが、いろんな人のことばによって輪郭が見えてくる瞬間と、まだ見えない可能性が自分でいうのもなんだけど頼もしくなる。 三宅くんがいってた「空がすごい赤い」というのは、わたしが無意識に三宅くんに言いたい。という衝動のままに動いた行為なだけで、とくに理性というか、何の理由もない。だけどそれをうれしく思われていることに、すこし戸惑う。わたしはこういう行為を誰彼構わずなにも考えずにやってしまうし、やらずにはいられないところが正直あって、三宅くんだからという特別な理由はない。と思う。 この感覚に、たくさんの人が振り回されているのはそろそろ自覚してきてるけど、どうしようもないのもあって、そういうキャラでいるしかないかなあ。と諦めていることもある。これが男だったらどうだったんだろう。女という成分だからなのか。私は今回でひとつ山口に置いていくことにする。単純でどおってことない行為かもしれないし、失うものも多いかもしれないけれど、それぐらい荷物を減らして不器用になりたい。誰かを幸せにするには今のわたしには両手いっぱいが精一杯で、みんなが思ってるより自分のキャパに自信がない。 いまはそんな気持ちなだけで、明日になったら違うかもしれない。幸せなときほど、何かを失いたくなるタイプ。ので、心配はいりません。今日はおしまい、また明日。 『アートイン木町プロジェクト「つなぐ」'09』―山口盆地午前五時― 2009年10月8日(木)―12日(月・祝) 10:00-17:00(最終日のみ16:00まで) 木町ハウス・菜香亭市民ギャラリー(山口) (展覧会情報>>)(狩野の展示場所は木町ハウスです。) 参加作家:狩野哲郎、いいね!(蛇谷りえ+三宅航太郎)、范叔如・クリス・スピード、ウォン・ハ、富田俊明、中崎透、有佐祐樹、辻耕、藤木律子、藤井弘、松尾宗慶、小畑徹、スタジオイマイチ、原井輝明、保手濱拓、ノーヴァヤ・リューストラ、中野良寿、澤登恭子、山城大督、佐藤麻由、永地博正、守章、白川美幸、末永光正、Lazy_Susan09(山口大学教育学部中野ゼミ) 主催:NPO法人 山口現代芸術研究所(YICA) 共催:山口大学教育学部美術教育講座絵画研究室、山口大学人文学部美学美術史研究室、スタジオイマイチ お問い合わせ:NPO法人 山口現代芸術研究所(YICA) 山口市周布町3-50-45 tel/fax 083-923-7444 ![]() ![]() - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ディス・コミュニケイト? / ある対話のかたち アートイン木町プロジェクトも今年で3回目となる。この3年で国内外から若手アーティストを何組か招聘してきたわけだが、今年はその集大成としてゲスト・アーティストに狩野哲郎、三宅航太郎、蛇谷りえの3名を招き、それに地元で活躍するアーティストやこれまでのYICAのプロジェクトに参加したアーティストを加え20名以上によるグループ展を開催することとなった。 この滞在で三宅航太郎と蛇谷りえは「いいね!」というユニットを組んだ。彼らはふたりともこれまで他者とのコミュニケーションや人との関わり方を思考するプロジェクトを展開してきた。今回は不特定多数の他者というよりは、ユニットを組む相手を理解し、どのように受容するかという極めて私的な問題からスタートし、お互いに自分とは全く異なる他者としての相手を意識しつつ、その先に自分と社会との関係を見据え、それぞれ丁寧に自分自身と、そして相手と向き合いながら、ある特定の他者との関係をテーマに作品作りを進めてきた。 一方で狩野哲郎は自身のスタイルで淡々とプロジェクトを遂行する。これまでの彼の手法のとおり、日常的な素材を粛々と配置し、種を芽吹かせ、架空のお供え物をしたりと、様々な要素をちょっとだけズラした視点で構成し空間をつくっていくのだが、今回はさらにもうひとつ新たな要素が加えられた。それは自分でも予測不可能な存在を作品に介入させるため、滞在中一羽のチャボ(小型の鶏)とともに生活するというものだ。狩野にとってこのチャボは、彼が日々生成する空間に対してどんなアクションを起こすのか全く想像もつかない他者である。彼がコントロールしている時空間に、偶然性を与える人間以外の存在としてのチャボを投入し、彼自身とはまったく異なる時間の流れを付加している。滞在場所でもあり展示空間でもあるこの場所でチャボが作品に某かの変化を与え、それとともに狩野と作品との関係も、鑑賞者との関係も徐々に変化していき、不思議な対話空間になっていく。 ここまで書いたが、実は僕は彼らの作品の完成形を全く見ていない。見てはいないけれど、彼らと一緒に短い時間を過ごしたなかで対話を重ね、こんなことが起こっているのではなかろうかという想像というか期待のもと、この短いテキストを書いている。ちなみに、全く異なるスタイルで制作する2組だが、どちらも自分自身とそれを取り巻く他者を視野に入れながら、その関係の中で作品をつくっている。一緒に作品をつくることになって、最も理解できないのはまさにその相手だと気付いてしまい、自分たちの関係づくりを作品制作に代入してしまった「いいね!」のふたり。一方で、全く予測不能に自身の空間や時間に介入する存在としてチャボを投入した狩野。両者ともすごく私的な領域から展開し、その先に普遍的な問題や社会構造を見据えている。普段は見過ごされがちな、あるいは皆あえて気付かないふりをしている事象を直視し、リアルで素直な感覚で関係を築いていく。そんな彼らの作品に同世代として期待を抱きつつ、でもそんな僕の想像を超えたものであってほしいというある種の裏切りをも期待している。コミュニケイト、あるいはディスコミュニケイト。彼らの作品に出会う人々は、それぞれどんな対話を重ねるのだろうか。 服部浩之(YICA/MAC/国際芸術センター青森学芸員)
「空がすごい赤い。」
蛇谷からメールが来た。 僕は展示会場の菜香亭で搬入、蛇谷はレジデンス先の木町ハウスで編集をしていた時。 おそらく、誰もいない木町ハウスに入ってきた落ちかけた太陽のひかりに反応して、空を見て、ただすてきだなと思ってそれを共有しようと思って、メールで知らせてくれたのかもしれないが、ちょっと考えさせられた。 蛇谷は、9月の最初の滞在で、もう僕には何もアクセス出来にくくなってしまった状態になった。 けれども、いままでそういう立場から逃げてきた方法論とは違うスタンスで、しかも2人で作品をつくるという決定事項には向き合いたいと思い、パフォーマンスとして僕に毎朝「モーニングコール」を掛けてくることがせいいっぱいだった。 めずらしく蛇谷がそれ、もしくは作品関係の話以外でアクセスしてきた。 ささいなことだけれど、それは、友達だったり、付き合っている人から送られてきても、もちろんうれしい内容なのだけど、いまの蛇谷との関係性の中で、このメールが来ることが正直とてもうれしかったなぁと思っているし、このメールが、10月に滞在してから変わっていった関係性をにおわせていて、少しはっとした。 僕をようやくうけいれてくれたとか、そんなんもんだとは思ってないけれど。 もちろん、蛇谷がそれをなんのきなしに送ったメールだとしても。 (というか、そうだろうけど) あっという間に日が過ぎる。 スケジュール的には、余裕だったりするけど、 映像の書き出しやなんだかんだとてこずり、ブログを書く間が無かった。ちゅん。 作品は、大阪にいる蛇谷が岡山にいる僕にかけてきたモーニングコールの音声と、 写真と、ドキュメントというか、どうしてそうなったか、どう思っているかのインタビュー映像。 山口に入ってきて、数日立ってから、やりやすくなった蛇谷との距離感。 作品を仕上げないといけないから、しかなたなくコミュニケーションをとっているのではなく、作品を製作する中で、関わりしろが増えてきて、なんとなくスムーズになっていっているという状態。 その変わり目に経ち、その自身の状態が作品に反映されないことや、そもそもの関係自体が作品として巻き込まれていく感じに、何となく違和感を感じひとりで立ち往生をしたり、少し蛇谷にことばにして言ってみたりして、なんとなくやろうとしていることが複雑化していて終わりの無い「今」の更新に追いつかなくなっている。 とはいえ、なんだかんだで、展示までこぎつけました。 それでは、みなさんぜひとも観に来て下さい。 あ、2人の初めての共同作業は展示台作りでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() この3日に山口入りをした。 で、もう、6日。 はやい。 岡山にいる時ももう少し書きたかったブログも、 日数が過ぎ去った今、改めて書ける内容でもないので、それはそれで後悔している。 着いてからも、なんだか、あれれと過ぎていった。 9月の滞在制作とはちがって、コーディネーターの山城くんと、そのまま滞在してる狩野くんと、4人での生活。もしかしたら、9月の滞在制作の時もこうして4人での生活だったとしたらまた違ったんだろうなと実感している。「誰と」で変わる関係性がさらに動きを与えてるようだ。 蛇谷は、こっちにくるまでのモーニングコールも掛け終わり、 僕はそれを受け終わった。しっかりと。 本当に、毎日小さなタブレットを飲んでいる感じだった。 ただ、飲み忘れや、その効果が実感出来ない日もあった。 蛇谷の最大の接続方法であるそれは、その特別でない繊細さでもって、 そもそもなんのタブレットか、その処方は何なのかさえ、わからなくなる時もあった。 蛇谷との関係性においてのこの3日間は、これまた変な感じである。 変な感じといっても、やたら気まずいとかそういった関係という感じではない。 展覧会に向けて残りのタスクを共にこなし、前よりも作品制作のしばりによって、 とはいえ、いささか計画通りに制作自体はスムーズに進行しているように思うし、 お互いに、空白の時間を摂り、モーニングコールという関係性に絞った中で、 距離の取り方や、その相手について見えてきたような雰囲気がある。 この距離のはかり方は、今回、蛇谷を通してより実感することになったけど、 おそらく人は誰かと接する時に、自然と行っている作業なのだろう。 そして、今回は、その作品を作るという前提があり、その関係性を切ってはいけない(切ることも可能だが)と言う縛りの中で、 そのそれぞれがお互いの許される位置で抽出され、受容出来る相手のストック場所を決定していく 着いてからは、お互いがお互いを尊重していながらも、その距離感を意識的にはかってみたり、なんだかんだとせいいっぱい暮らしている。 ![]()
山口に来ています。山口入りしてはや3日。早すぎる。
昨日は疲れて昼まで寝てしまい、あわてて機材確認とか買い出し。撮影も終えて、展示プランもクリアになる。あとは作業に入るだけだ。環境が環境だけあって、なかなかロスもあるけど、他の作家の人とひやひや言いながら、ひとつ屋根の下にいるのはたのしい。ご縁があって、ここにいるんだけど、その場所場所であたらしい作家の人と出会ってお話してすてきな眼差しを知ることができるのは、ここに来てよかったなあ、と25歳の人間としてとてもうれしい気持ち。 作品で使うために2人のインタビューを撮影した。山口に来る前のこと、山口での出来事、、いまのことをリハ—サルなしで話をした。ブログでも読んでるから相手の気持ちはなんとなくわかってたけど、言葉になるとまた違って聞こえる。腹立たしいとかそういうのじゃなくて、ほんとに文字と言葉のアウトプットの違いを感じる。 話終わった後、人と付き合う(恋愛とか関係なく)っていうのはこういうことかしら?と頭の中にぽやんとなる。お風呂の中でわたしの周辺の人たちのことを思い返す。 三宅くんはばたばたしながらも、あっちこっち走り回って製作してる。わたしは木材はめっぽう不器用なのでPCの書き出し待ち。ごはん係。掃除係。役回りも2人とも出来ることが重なるけれど、なんとPCが一台しかない!という大失態の中、なんとか粘ってます。音声作品、わたしは結構すきです。あとは映像やー。作品を作りながら、いいね!の今後の行方もちらほら話をしてます。昨日はごきげんだったのか、笑顔が多いわたしの写真シリーズ。 ![]() ![]() ![]() ![]()
あっという間に10月。9月19日に山口から戻ってきた日から、わたしはトヨダヒトシという作家の企画制作の準備に入る。19日が初日で上映会が始まり、そこから2週間にかけて3会場での上映会。普段はNYにいて、いまは東京を拠点に国内で上映シーズン。トヨダさんが大阪にいた2週間、わたしの時間の中でも、いまこの大阪のどこかにトヨダさんがいる気配を感じていたし、彼のことを考えないときはあまりなかった。
彼はまっすぐなきらきらした目で、好きか苦手かはっきり伝える。目の前の問題にも動じず、じゃあどうするか受け入れる。決して気を張った振る舞いではなくて、丸裸の、ありのままの人。一緒に道を歩いているとコンクリートの上でカメムシがひっくり返っているのを見つけて立ち止まり、移動させる。大きな交差点で急に立ち止まり写真を何枚か撮る。わたし自身も、何枚か撮ってもらう。カメラ越しにみる彼はまっすぐにわたしの方に向き合ってくれる。そういう彼といっしょにいるのはとても楽しくて、あっという間だった。 上映会も無事に終わり、最終日。バスに乗り込む前にみんなで食事をして、見送られるのが苦手だからと席を立つ。途中まで送るよ、とわたしだけ着いていく。あっという間にバス乗り場に着く。聞き慣れた「それじゃあまた。」はもうこれで最後になる。日常は日々、消えていくのに、写真をプリントして我がもの顔で残ることに違和感を抱いたトヨダさんにとって、このお別れも日常のひとつで。そういう通り過ぎていく感覚は自分でもよくわかっていたはずなのに、こんなにもさみしくなるのは、通り過ぎる瞬間に一緒にいた時間が消えていくのがさみしいんだ。とようやく気づく。 ほぼ毎日モーニングコールしている今、三宅くんの言う通り、何にも派手な出来事は起きてない。作品をつくるという契約のもとで日常のようにやりとりしている行為も終わりが近づくと何か変化があるのだろうか。ひとつの節目が終わる瞬間、ふわっと消えて、なにか次のスライドが浮かび上がってくるように、何かお互いの中で始まるのかもしれない。それはとても派手なものではなく、静かでちいさなものだと思う。 ![]()
結婚式の次の日から、岡山で僕が関わっているNPO ハート・アート・おかやまとしてプロジェクトに参加するため、島根県は隠岐の島に4日間行って来た。島の食材を使って、大好きだけれど島では買うことの出来ないジャンクフードとして、「スリーミーバーガー」をひたすら作って売る。これがまたたらふく売れる。あと、岡山に帰ってから、友達の展示を見に行ったり、進学校の普通科なのに美術部がへんてこな出身高校のOB展に参加するため(中学生から90のおじいちゃん作家まで120人参加!)、製作や搬入などをして、毎日がよろろんと通り過ぎている。
その間にも、蛇谷からのモーニングコールは、しっかりとかかって来る。隠岐にいても岡山にいても。 いまは、最初受けたときのような、未解凍な脳に鋭利な刻印を押されたような感覚ではない。とはいえ、もうユニットを組んだ頃の2人の初々しくも期待に満ち溢れる感じではないし、かといって愛の無くなった往年の夫婦みたいでもない。そんな何とも言えない状態がリアルでいい。人間くさくていい。この朝の1分間は、毎日小さなタブレットを飲んでいるような不思議な感覚である。決して富士山にのぼるわけでもないし、フルマラソンを走るでもない、毎日のささいな儀式のような、もしくはそのゲキジョウみたいだなと思う。そのゲキジョウは意外とオープンなことも最近知ったのだ。 そんな中というか、自分のニチジョウは、自分からとても近い人たちが、これまたピンポイントでいろいろ悩んでいる。 親に家を出て行け、ちゃんとした仕事をしろと言われ、モチベーションがあがらず会社を辞めることに悩み、もう決まっている目の前の結婚に対してすこぶるさえなかったり、パートナーがわかってくれない、など、ここぞとばかり、相談といわないまでも数々の難問が僕の目の前に押し寄せている。 そんな大切な人たちの悩みを前に、うまいこと声をかけてあげられなかったり、こけっとだまりこんだりしてしまう自分がいる。こういうくせというか態度は昔からなのか、この滞在や環境が影響してるのか、それさえもわかんなくなっている。 先にも書いた、ハート・アート・おかやま。そのNPOが行なっているアートリンクプロジェクトというのがある。 アートリンクは、障害のある子とアーティストがペアを組み、半年間ほど関係性をつくりながら作品を創っていくというものである。僕は、2007年と2008年に関わらしてもらったが、この経験はほんとうに大きい。ついこの間、アートリンクセンターで開かれたコミュニティアート映像祭というイベントで、アートリンクのドキュメントが流れている際、しみじみとそう思った。その半年間の渦中はまさにゲキジョウだった。特別ではないけれど、なにか乗り越える為にそこに行く。そこが在る。 大切な人たちから受けてきた相談のかけらや、そこから見えてくること。なんだかみんなゆらりと集まって、つながろうとしたり、振り向いたり、なにかざわめきはじめている。
山口から帰って、一週間。大阪ではいろんな人と話す機会、再会する機会がたくさんあった。このタイミングにアクセス数が異様に高い。それは、仕事はもちろん、古い友人から通りがかりの外国人や猫まで、プライベートまでも何かしらのアクセスが来る。アクセスが来るのも偶然やそのときの流れで。そんで私はそれらを両手いっぱいで受け止め、こぼれ落としながら一日を終える。一日の終わりそうな頃に、三宅くんから「明日は7時半でお願いします。」とメールが来る。わたしは毎朝、三宅くんになんだかわからないアクセスをする。
ある朝、三宅くんを起こすずっと前の時間帯に電話がかかった。普段なら出ないのに、とある企画の申し込み先を自分の電話番号にしているため、癖になって寝ぼけて出る。そしたら、おじいさんの声で、あなたの契約書らしいものを拾いました。という用件。何を落としたのか、寝ぼけながら心当たりを探す。昨日、北加賀屋という町から野田へ自転車で大移動をしたとき、ポケットにいれてたレンタル契約書を思い出す。それがわたしがきっとこのさきそう何度も通ることはないだろうエリアに落ちたらしい。取りにきてください。と言われる。無理。これ以上、アクセス数が増えるのはごめんだ。それに全然動けない。大事じゃないならびりびりにして捨てます。うん。それでいい。その契約書は昨日FAXして完了だし、ポケットにいれるほどそんなに重要じゃない。でももしかしたら必要なときが急に出てくるかもしれない。この時点で、はあ?あんたのことばがわからんわ、とあきれられる。普通に話してるのに。早口でもないのに。 わしは昔契約書とか扱ってた仕事してたから、思わず拾って電話しただけや。うお。私にとってはどうでもいいのに、この人にとっては重要で。それをやぶって捨てろって言えない。沈黙。ここで向こうが勘違いして電話が切れる。再びかけなおす。わたしも大事なので、郵送してください。明日届けば十分です。住所は〜。向こうは何を思ったのか、今日散歩がてら自転車で届けます。ええ!あ、はい。それじゃあよろしくお願いします。がちゃ。 こんな朝が始まって、職場でリハやら作業してたら、連絡があった。近くにある大きな橋を渡ったところで体調が悪くなって、座り込んでる。少し待たせてしまいながらもかけつける。ことばがわからないって外国人か何かだろうか。顔が青い、やばい。飲み物を渡す。少しずつ話をする。電話とはうってかわって、全然ことばが通じる。つい十日前まで病気で寝たきりになってて、リハビリに散歩してたら契約書を見つけたらしい。いつもならほっとくのに、やけに気になって電話をしたとか。昔このあたりで働いていたらしい、嫁さんはこの紙切れの重要性なんてしらないから、捨てときというけど、ほっとかれへんわなあ。電話ではことばの意味が聞き取れないだけのようだった。その気持ちよくわかる。15分ほど話をして、さよならをする。 これは、いわゆる「美術的におもしろい」と言われるんだろうか。三宅くんならなんというだろうか。わたしが長距離で、あの場所に落とし物をしてしまったせいで、こうなったことにどっと疲れが出る。何もなくてよかった。何もなくていい。もう十分に起こってる。
蛇谷との共同生活であるレジデンスを終えて、岡山で過ごす1日目というのが、友人の結婚式であったことは、僕の中で、相当大きい。
僕は、この結婚する2人を、僕たち2人にかぶらせていろいろ考えてしまっている。 実は、今日の朝から搬入日までの間、蛇谷から僕に朝モーニングコールがかかる。それは、蛇谷が毎朝僕を起こしてくれるのではなく、レジデンスの互いの視点を公開しながら「2人で作品をつくる」行為をおこなっていくプロセスから、他者への違和感、違いに気づいた蛇谷が導き出した唯一の僕への接続方法である。 今日、そのモーニングコールの「パフォーマンス」を僕はうけた。 例えば「彼女」の気持ちいい朝のはじまりのそれとは、対象的であった。 朝から蛇谷の声を聞くのも別にいやでもないし、特に怒鳴られておこされたわけではないけれど、それは滞在中に得た蛇谷の感覚、大げさに言うと「三宅が受け入れられない。」ということが、まず構造として脳内に侵入してくる。そしてそれが、脳がまだ起きてない朝に行われるということ。 それが一日をずんずんとおそっていく感じがした。 僕はただ受け入れるしかないのだ。 そして、それは楽しい友人達と再会する結婚式でも侵入してくる。 互いを受け入れ、ともにやっていくことをおおやけで宣言する場が、どうも僕たち2人のことをリンクしてしまう。蛇谷のことを考えるというものというよりは、自分というものと向き合っている時間の方が長いのだろうか。今はまだわからない。 ![]() ![]() ![]()
最終日、朝はそれぞれで時間を過ごす。朝、むくっと起きて、梨を食べて、1人で木町ハウス近くにある瑠璃光寺に歩いていく。朝の日差しがとてもきれいで、朝から早くも観光客がぞろぞろしてる。お寺にいく習慣がないわたしは、高野山のこととか思い出しながら、もくもくと探検する。すこしぼーっとしたいと思って、亀がいる池の前でしゃがみこみ、亀を見つめる。この状況はなんなんだろう。と亀をみながら考える。亀はわたしの顔をじっとみたり、急に思い出したように逃げたりしてる。
以前も話した、洞窟のシンクロと同じように、こういう他者への違和感はわたしのプライベートの中でも何度かぶつかっていて、タイミングが合わなかったとか、相性がとか、他者がわからない理由を並べて離れてきた。で、またこの状況。 今回も2人離れて別々で作る方法も考えたけど、「作品制作」という現実だけど、まだ私にとって日常じゃない時間の中で「向き合ってみる」とどうなるだろうか、と考える。じんましんが出るかな。 じゃあ、三宅くんに少しだけ継続できる限りのコミュニケーションをイメージしてみる。朝ご飯だけは一緒に食べるとか、電話は一日一回はするとか、カップルのコミュニケーションのルールみたいに、わからない相手を受け入れるために、何かルールを決めてみる。そうして考えた「毎朝、三宅くんにモーニングコールをする」パフォーマンス作品。 正直、寝起きの声は好きな人ならうれしいけど、そうじゃない人の声はきつい。しかもわたしも好きな彼女じゃないので、甘いやさしい声で起こすわけもなく、向こうも寝起き早々つらいだろう。でも、わたしはそれしかできない。 それを三宅くんがどう受け止め続けるのか、私の電話の声を使って作品で形にしてもらう。やっぱり彼は私の行為を眺めるようにみてるのか、そうじゃないのか。そもそも私は継続できるのか、最後は泣いてるのか笑ってるのか。乗り越えることが出来るのか、2人はもちろん、みんなもきっとわからん。 そんなわけで山口滞在が終わって、広島経由で帰る。広島に二時間だけ滞在することになって、この間の広島のアーティストたちと再会し、おいしいカレーを食べながらたくさん話をする。わたしの感覚はわたしの偏見じゃないことも、三宅くんの感覚が特別じゃないということも、他人に話してようやく肩の荷が下りる。 2人というセカイの狭さと奥行きを改めて感じる。 ブログを読んで電話をくれた方々、コメントをくれた方々、遠くから心配してくださったみなさん。ほんとにありがとうございました。まだこれから始まります。答えは展示で、わかるかもわからないかも。ぜひ山口県で元気な2人を観にきて下さい。そんでめいっぱいお礼をさせてください。 ![]() ![]() ![]() ![]()
はやい1日だった。
午前中はダイヤバイサクルで滝や川に行った。 蛇谷料理長の最後のブランチを食べ、荷物をつめ、decoにむかう。 作品プランというより、今後の動きについて話し合う。 必然的な話しになって、あーなるほどなと思う。 ブレストしていく感じはやはりユニットならではだな。 最後は狩野くんと3人で少し過ごし、山口をあとにする。 「しかたない行為」をうけとめる作業は自分を見つめる非常につらいものになるだろう。これはじわじわと自分に作用するのか。この構造にはあとで気づいた。ただ、僕は相手の「しかたのない行為」を本気で受けとめるだけだ。編集作業はもしかしたらそれを消化するための唯一の手段。作品というより互いの存在を「いいね!」と承認しあう必然的な勝負となるだろう。 ようやくというか、あっというまというか終わってしまった滞在。 この8日間、それでもやはりとてもいい環境だったし、とてもいい作業をした。ありがたい。それもこれも、関わってくださったYICAの皆さん、YCAMの方々、AIAVの方々、YANの方々、IAMASの方、ACACの方、JT、TZRくん、その他大勢の方々本当にありがとうございました。 また10月にやって来ます。このブログも滞在中だけでなく、岡山にいるときもちょこちょこ書いてみようと思うので、また覗いてください。あ、もしかしたら、誰かが観察日記をかいてくれるかもしれません。それもお楽しみに。 / 帰りの車内、広島にいるトッキーモッキーは、どうしてアート探偵なんだろうか。そればかり考えていた。 ![]() ![]() ![]()
他者を乗り越える方法。それはなんだろう。
好きな人と付き合えて、楽しい。でも、何かの拍子に喧嘩をしてしまった。そしたら相手の事が嫌いになって、その時は、あー別れたいなぁと思うけれど、でもそれはその時だけで、でもやっぱりそこを乗り越えたいなぁと思った。 そうそう、はじめて人と付き合って喧嘩をするときのような、そんな平凡なセカイのようでいて、ただの泥臭い旅芸人(水戸のある学芸員に言われた 笑)のような2人がたわいもないこともんもんとしているだけでもある。なんともいえない状態でこの2日を過ごしてきて、ようやく明日で山口の滞在が終わる。 作品について何もしゃべらないこの2日。これがうまいこと機能している。気がする。あしたにならなきゃわからないけど。とてつもなく。 たぶん、1人で作るなら展示が明日でも作品は出来る自信はなくもない。 ただ、2人で作っているから、それをつたえる手法、術、持っていき方のディスタンスがまだ自分の中で整っていないのだろうな。山城くんを送る車内で、狩野くんと一緒に入った風呂でそれぞれどうしよっかなーと言ってみる。 このブログにこれだけ互いの事など書いていることが、またそれぞれに作用して微妙なカオスになってきているけれど、一日一日整理して、やってこれたのは良かったんだと思う。 とくに最近は、お互いがおちょくりあって、意識のベクトルがなんだかへんなとこにいったりするけれど、やはり明日で最後だなぁとしみじみ思っていると、蛇谷が夜中の1時に煮麺をつくると言い出すので、すこしいっぱいのお腹の上にも、残り少ない手料理を食べたいと、素直に欲しいとリクエストしたりする。 そうそう、今日はダイヤ君のいい自転車でかっ飛ばしたのがなによりも気持ちよかった。あしたは朝早く起きて山まで行ってみよう。じゃ。おやすみ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
今日は、YICAのメンバーでありアーティストでもある中野さんに狩野くんと三宅くんと3人で秋吉台に連れていってもらう。山城くんは、今朝東京へ旅立つ。きのうのお好み焼き懇談会で芸術村のウッチーさんが誘ってくれたのもあり、中野さんの作品もあるということで車で連れていってもらう。
秋吉台にいくのは、2年?3年ぶりで、ちょうどこれくらいの時期に友人と来た。そのときは山城くんが連れてってくれて、秋芳洞もカルストもお土産もみた。洞窟のあのじっとりしたひやっとする感じ、どこまでも響く音に興奮してた。その後いつか横トリでみた高嶺さんの洞窟の作品をみて、日本人の作品に初めて声も出なかった感覚。あのときの、じっとりと衝撃はいまも覚えてる。そして山口に来る前に読んだ高嶺さんの「在日の恋人」の本の内容。これまでの出来事すべてが少しづつリンクして、いまの自分の状況に気持ちが高ぶる。 カルスト台地は何度みてもすごい。弟たち(小6と小3)をいつかここに連れていきたい。絶対興奮するし、かくれんぼとか鬼ごっこして、ふらふらにしたい。今度来たらみんなでいっしょにいきたい場所。 小さな視点はわたしにはとても重要で、大きな視点はどうでもよかったりする。あとは接点をつくるだけ。正直どこでもいい。ただ、構えいっぱいの格好つけるような作品にだけはしたくない。これまでの自分のために。 明日は山口滞在最終日、2日ぶりの会議は山口市内のカフェでします。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() photo:KANO tetsuro.MIYAKE kotaro
蛇谷が書いたブログをみた。
かなりいい感じにみえるな。 つい最近まで消えていた最強のヘビノタニノスマイルも戻っている。 よかった。いいね! ただ、会うたびにやつれてるね、といわれてるけど。 やましーが来た。 彼は僕ら「いいね!」の担当コーディネーター。 コーディネーターだから当然といえばそうなんだけど、でも、いま山口に住んでいない彼は移動だらけの生活で、時間の合間を縫って、わざわざ来てくれた。 6日目にして1日目が来たという変な感じ。 ドライブをして、山口の土地を教えてくれて、いろんな人を紹介してくれて、そして人を集めて懇親会を開いてくれた。それは確かに、2人にあたらしい風を吹かしてくれた。 1回目の滞在で山口にいるのはあと2日。次はもう展示の3.4日前から山口に入る。 帰ってからもお互いやることがあるので、いま話しておいて実現にむけて山口で出来る事は山口でおこなって、それぞれ帰って岡山・大阪で動くというのが現実的なんだろうなぁと思っているけど、結構蛇谷は「1日目」を楽しみたいのか、風を変えたいのか、あしたも海に行こう!などと言っている。 もしかしたら、僕はその辺に冷静で、何ヶ月もいるレジデンスや、プランが決まっていればそれに向ける感覚はあるのだろうけど、1回目の滞在が残り2日となったところでわいわいやろうと言っているのを、うん、確かに眺めているというかんじはあるかもしれない。 ただ、それは意外とやだなぁということではなく、相方が乗ろうとしている船にぼくも敢えて乗ってみるというようなことかもしれない。 ある状態がまた違う状態に変位していくのをその状態のなかにいながら楽しんでいるという感じかもしれない。 「ああ、大したことはないな」という感覚はぼくはつねに持っているし、さんざん話したプランも折り合いがつかないならいつでもゼロに戻すということも考えている。危なっかしい状態でうろうろするのも大好きだ。 島に着く前に捕れる魚はかわってくるけど、船がどこまですすんでいるのか、どっちが舵を握っているのか、もしくは2台の船にそれぞれが乗っているのか見極めながらそろそろ見える島にむけて進まないといけない。 やっほー。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
今日は大きく変わった!なぜなら今日は大ちゃん(山城くん)と狩野くんが来た!それにダイヤくんとも会えたし、オムライス屋さんでごはんも食べた、YCAMに遊びにいって丸ちゃんとも会えたし、拓郎くんにまたジャタニって言われたし、岡りえさんにもまた会えたり、渡部さんとか中野さんとか。あと夜は律子さんとか、まゆさんとか、かわいい深野さんも、小笠原さんやみんなに会えた!アイスを買ってた小学生がかわいかったし、変なデスクトップも気になった、ぼっちゃんが通う八百屋もいった。スイカを買った。川も眺めた、お好み焼きも作った。梨も食べた。一日に山口にいるいろんな人と会えてそれだけでなぜこんなに元気が出るのだろうか。自分でもびっくり。やっぱり自分はこの感じが好きだ。
ブログを見てくれているひとはやんわりと励まし、おちょくり笑い飛ばしてくれている。よかった。そうです、これは自分たちには深刻な事態だけど、家族の深刻さ程度であって、他人にとっては笑いとばせる問題なのです。でもそれは全世界でもそんなもんだと思うと同時に自分の影響でもある紙一重な感じ。それはさておき、この自分がいつもの外に出て「ああ、大したことはないな」とようやく自分の足下をうむ。と笑えるようになった。うん。今回はほんとに。まだ全然間に合うし、まだこれからだ(サッカーの試合みたい) 三宅くんはどう思って過ごしていたんだろうか。今日一日三宅くんがカメラを持っていたのもあって、相変わらず三宅くんは離れて眺めているなあ。と感じながら、過ごしていたのだけど。三宅くんはカメラが似合う。自分のカメラなのに、すこし悔しい。私の場合、カメラを持ってても邪魔になってほったらかしてしまうのです。だから自分はその距離にいけない(我慢できなくて近づいちゃう)ので、その悔しさに似ている。しかもばっちし撮れてるしな。本人には言わないけどね。ぷぷー。 遠くから見守ってくれているみなさん、ありがとう。テレパシーにてしっかり届いてます。 私は元気です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
また朝になった。朝になったのは、夜通し起きてるということではなくて、夜中12時ぐらいにブログを書かずに寝て、朝に書いちゃった!というだけの話。ここに来て睡眠時間が随分長い。松本人志とデートした夢をみた。
きのうは念願のかき氷を食べて、あすかさんと会って、コインランドリーにいって。時間が過ぎていく。ほんでご飯を作って、ご飯を食べて、会議。一日は長いのに、移動しているときも考えているのに、会議になると答えは出ないのはなんだろう。会議で答えを出そうするからなのかしら。でも、ぐるぐるしながら螺旋階段みたいにあがっては来ているよ。で、ここにいて思ったんだけど、一歩一歩というのはこういうことを言うんだろう。じわじわ系。スーパーアイデアをぎりぎりまで待っているようす。 ![]() ![]() ![]() ![]() もうすこし暖かい服を持ってくれば良かったと後悔している。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 陽が落ちてくる。1日は早い。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
朝になってしまった。YCAMの明日香さんに起こしてもらう。そしてまた寝る。三宅くんが難航している。広島から半ば強制的に山口に戻され、また2人になる。展示場所視察しながら、作品の話を進める。三宅くんは、アイデアを考えるとき、「ものを散らかす」。わたしは、ひとつひとつ「ものをじっくりみていく」。だから考えているときに、1000本ノックみたいにボールがあっちこっち飛んできて、わたしは真面目に受けようと必死に追いかけようとする。でも、三宅くん的にそれに深い意味はなく、ただ思いついたことを投げているだけだったりする。それを知ったわたしは「聞き流す」作戦に出るんだけど、そうなると相手が何を考えているのはわからんちんになって、笑ける。
そうしてる私を三宅くんは写真を撮る。蟻が部屋に入ってきて、三宅くんが蟻で遊んでいる姿をみて、「三宅くんにとって、あたしはその蟻なんだろう」と話をしたら、すこし悲しい顔をした。 この違和感を抱えながらも作品というゴールを目指さないといけない感じが、息苦しい。2人で作るってもっと楽しいはず!なんて思ってもないけど、こんなにこんなになると思ってなかった。でもここまで土つぼにハマってしまっているのは人との関わりを愛してやまない2人だからこそで、お互いの専門はここだとわたしは思ってる。かといって、作品が泥だんごになってしまったらどうしよう。(それはそれでありか。)ここが大阪だったらまた違って。情報のほとんどない(テレビもない)逃げ場のない山口県だから、こんなにもぶつかってるのは多いにあると思うんです。 これは三宅くんの悪口ではなくて、私の偏った見解。どちらかというと私の方がおかしいかもしれない。この話は全て本人に話しているし、話せているのは彼が、恋人でも友人でもなくコミュニケーションを用いたアーティストだからです。 明日から担当者の山城氏とアーティストの狩野くんが来る。 ![]() ![]()
おもしろい。
なにがおもしろいのかというと、作品がうまいこと進まない、ということ。 具体的には、ユニットで作品をつくっているという構造が、作品づくりの構造を飲み込むぐらいオーバーラップして、進まないプランよりも、2人で作品をつくるおもしろさと難しさに直面し、考えている。 蛇谷って、おもしろい。その事を良く考えている。 ということもおもしろい。 広島から山口に戻ってきて、また2人の生活なので、反動からか喧嘩っぽくなったり、あまのじゃくになったりいろいろ反応を伺っている感じ、それ自体がどうも気になってくる。 とはいえ、決してまったく気をつかっているわけではないのだけど。 実は、作品のプランについては、4割型決めてきて、残りの6割をどうするかみたいなことで滞在を始めていたけど、実際展示場所の下見をしたり、練り直したりで、あまりうまい事いっていないというとこが正直なところ。 僕たちのブログをみてもわかる通り、ユニットでのブログでありながら双方の視点で滞在を自由に書いている。そして、それぞれ、相手がよく出てくる。とにかく、それぞれはそれぞれが気になるのだ。 ひりひりするかんじもありながら得体のしれないもぞもぞと戦わないと行けない。 この夕立の雨は少し、濡れてみるべきなのか、 ビスケットとともに飲むコーヒーには砂糖をいれるべきなのか。 相手を起こさないために、目覚まし無しで朝を迎えてみた。 あと4日。 これからの道は、おいでませ みちづれ。 そんなこんなで今まで通り素直にやっていこう。 めんとむかって話している感じと、このブログでもって置き手紙的に会話もできるな。 蛇谷、きのうのパスタうまかったぞ。ありがとう。 「構え」とか、「編集」に繊細すぎるふたりがうける。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
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